2008年3月3日月曜日

一ヶ月のご無沙汰でした。


当ブログをご覧の皆さま。こんにちわ。
前回の更新から、気がつけば一ヶ月。いやあ、大変ご無沙汰をいたしました。

そこで今回は、この一ヶ月間の活動報告をさせていただきます。
当三次旧石器文化研究会では、踏査活動を基本に旧石器文化を研究する中で、地域に根ざした歴史認識の醸造につとめることを目的として活動しています。
当研究会もその設立から半年超を経過しました。この間、各会員の多様な意見・提案によって、その活動も徐々に活発化してきています。
去る2月10日に実施した踏査活動は、そのような機運の活発化から実施されたものです。
踏査を行った場所は、三次市向江田町の史跡寺町廃寺および同市和知町の大当(だいとう)瓦窯跡。

寺町廃寺は、白鳳期創建の寺院址として知られる全国的にも著名な古代寺院址です。全国的に知らしめるのには理由があります。ひとつは、『日本霊異記』に記載のある「三谷寺」と位置づけられていること。もうひとつは、軒丸瓦の瓦当に関して、その下方先端部が三角状に尖る「水切り」という特徴を持つことです。
この「水切り瓦」を有す古代寺院址は、寺町廃寺のほか、備中・大崎廃寺、備後・上山手廃寺、寺戸廃寺、出雲・神門寺境内廃寺など限られており、全国の古代寺院址でみられる軒丸瓦とは異質なものなのです。
このような成果が明らかとなってきたのは、かつて実施された発掘調査とその前後に亘って積み重ねられた研究によるものなのです。
一方の大当瓦窯跡は、寺町廃寺に瓦を焼き、其れを供給した瓦専用の窯址として位置づけられています。この大当瓦窯跡から寺町廃寺までは、直線にして約1.5kmの距離がありますが、瓦を供給したルートとしては、この直線状に近い、山中を越えるルートが想定されています。
今回の踏査に参加した会員4名は、このことに疑問を抱き、この2遺跡をつないだとされる山中ルートを歩いてみることとしたのです。当日の踏査ルートについては、こちらをごらんください。(地図参照)

歩いてみると、中国自然歩道などや、ため池管理のための山道など、集落から目的地へとつながる道は整備されていましたが、ルート上の最高所にあたる山中などでは、倒木などによって、通過に困難な状況があるほど荒れた箇所もありました。もちろん、当時本当に通過していたとすれば、道は整備されていたのでしょうが。。。
また、大当瓦窯跡側からの上り坂について、瓦運搬にはきつい坂であるなという印象も受けました。
しかし、ルートを国兼川沿いに変えたとて、寺町へ向かうには、やはり同様程度の上り坂があるため直線的に近いルートを選んだことにうなずける点もありました。
むしろ、ひっそりとした山中ルートは、ひょっとして、表立って廻りから見えないようにと、いう意識がはたらいたため?!なあんて、そんな妄想を抱いてみたりしました。

というわけで、掲載した写真は、会員諸氏と山から降りた後、大当瓦窯跡を望みつつ、議論に花を咲かせているときの模様です。
この日は、広島県立歴史民俗資料館にて歴風トークが行われた日だったのですが。。。
ほんと、この研究会メンバー、みんなバイタリティあります(笑)

さあ、如何でしたでしょうか?今回は、旧石器の内容ではありませんでしたが(もちろん、注意して観察してまいりました。)今後もあまりさぼらず、研究会の情報をお伝えしてまいります。
あっ、それから、気がつけば、すでに1200件を超えるアクセスをいただき感謝感謝です。

春、三月、弥生を迎え、暖かさと寒さの移り変わりが激しい季節となっております。
季節の変わり目です。みなさまどうぞ風邪など引かれぬよう体調管理にはくれぐれもご留意くださいませ。