2008年8月25日月曜日

戸田正勝先生来広!三旧研~夏の勉強会~開催③

 こなさん、みんばんわ。あれ?間違えましたね。
 当ブログをごらんのみなさん、こんばんわ。
 三次は、朝晩は薄着では寒いくらいの時が訪れております。なんでも、市内三良坂町の灰塚ダムの貯水率がこの雨不足により僅少となっているとの情報を先般の報道で知りました。農業用水に関しては調整がなされるとのこと。

 私、ブログ管理人にとりまして、これほどの水不足を経験した記憶はなく、驚きと戸惑いを感じています。幸い、生活用水は制限無いようですが、これから先のことを考えますと、やはり、ひとりひとり、節水に心がけることが大事であると感じました。とりあえず、家の水道メーターについている水栓を絞りました。節約にもつながれば・・・。とひそかな期待です。

 さあ、前置きのつまんないのがいつも長いので申し訳ありませんが、今回も当研究会会員で栃木県・國學院大學栃木短期大學の戸田正勝先生をお招きし、勉強会を実施した話題をお届けいたします。今回は、7月21日に実施した三次市内旧石器時代遺跡見学の模様についてお伝えいたします。









右写真①】
市内某所。このような露出した部分の地層などに注意し、見学しました。


市内のビジネスホテル前に集合し、出発し、まずは下本谷遺跡へ。配水地地点や最高所地点を見学しました。その後、矢谷墳丘墓へ。



右写真②】
矢谷墳丘墓での一行。奥に見える山並みは、三次盆地の北際を成す部分であり、天然記念物となっている船佐山内逆断層帯の走る部分でもある。
三次盆地はこれらの土地が隆起した後、無数の河川により侵食が進んだ結果、現在のような地形が形成されている。



矢谷墳丘墓に立ち寄ったのは、市内の展望がよく、地形が理解しやすいからであるが、この場所は、下本谷遺跡と同一標高にあり、しかも比較的近接していることから、下本谷遺跡と同時期の旧石器の出土も想定できる。いうこともあった。
 右下の写真【右写真③】は、矢谷墳丘墓上から東側を撮影したものであるが、写真奥に見えるのは、三次工業団地の第Ⅲ期工事現場である。
この丘陵は、下本谷遺跡を含め東に向け一連のものであり、同一標高であるこの丘陵は、馬洗川をはさみ、四拾貫町の陣山遺跡や向江田町の上山手廃寺などがある丘陵とも対応するものと考えられる。
つまり、下本谷遺跡と同時期の旧石器が存在しても不思議ではない。ということであるし、もちろん他時代の遺跡の存在も想定される。
 






右写真③】
矢谷墳丘墓から東側の丘陵を望む。



その後、一行は、中国横断自動車道尾道松江線建設工事にかかる発掘調査で調査が実施された和知白鳥遺跡や段遺跡界隈をぶらりと見学しました。
発掘調査はすでに終了しており、現地の状態は確認できないが、付近は中国自動車道とのジャンクション(三次JCT)であるため、工事が着々と進められていました。
そこで、我々は、橋脚建設工事の様子を見学するとともに、工事のため掘り込んだ穴から眺めることのできる地層などを確認しました。しかし、この日は暑かった!















【写真④(上)・⑤(下)】段遺跡周辺から橋脚工事現場を望む。


さて、コンビニエンスストアで給水と体の冷却をした後、一行は三良坂町へ。場所は、田利の宮風呂遺跡です。

 




【右写真⑥】田利から皆瀬にかけて上下川によって形成された円弧状の地形と旧石器の存在について説明する三枝代表(右)


「あついあつい」この日は、とにかくそんな日でした。そんな時は給水が一番。体を冷やしたりして熱中症対策でした。











【右写真⑦】宮風呂遺跡のある公園で休憩する三旧研一行



約半日をかけて実施した、三次市内の主だった旧石器時代遺跡見学も宮風呂遺跡を持って無事終了しました。
この後、三次市の中心部に戻り、いよいよ栃木へお帰りになる時間となった戸田先生と一行で国道54号線を南下。ナウマン象が通ったであろう地形をたどりつつ、一路広島駅へと向かいました。











【右写真⑧】広島駅にて。戸田先生との名残を惜しみ、近いうちの再会を約束しての記念撮影。



というわけで、戸田先生をお迎えしての研究会は無事終了しました。戸田先生におかれましては、暑いさなか、三次にお越し頂きありがとうございました。われわれ会員にとりまして、この2日間は、非常に濃密な時間となりました。会員一同代表しましてお礼申しあげます。
「今度は、栃木に行こう!」という声も上がっていましたね!(^^)!そうなればいいなぁ。と今から期待しております。

これで、3回にわたりお届けしてまいりました。三旧研~夏の勉強会の報告を終わります。
最後になりましたが、今回の勉強会開催にあたり尽力いただきました。戸田先生に重ねて御礼申しあげますとともに、三枝代表をはじめ多くの方に協力いただきました。文末ですが謝意を表します。