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2017年11月8日水曜日

三枝健二氏 講演会開催のお知らせ

三次旧石器文化研究会のブログをご覧の皆さまこんにちは。
朝晩寒くなってまいりましたが、如何お過ごしでしょうか?

何てなことを言ってたのが少し前のような気がしています。え、もう11月!!などと、ひとりで驚いたりなんかして・・・。
季節の移り変わりを、年々早く感じてしまう管理人です。

さて、今回の話題ですが、当研究会代表である三枝健二氏の講演会が開催されることとなりましたので、そのご案内をさせて頂きます。


この講演会は、広島市三滝地区での開催となります。
三次市・下本谷遺跡における最新の研究成果からみた同遺跡の位置付けなどについて、興味深い話が聞けそうです。
詳しくは、上記チラシの方をご覧ください。
以上、三枝健二氏講演会のお知らせでした。

2016年10月29日土曜日

三枝氏講演会リポート

三旧研ブログをご覧のみなさま、こんにちは。いつもご覧いただき有難うございます。
さて、今回は、去る9月、三次地方史研究会9月例会として開催された、当研究会代表の三枝健二氏講演会『日本の旧石器文化と三次(上)-下本谷遺跡の歴史的意義-』の聴講レポートをお届けいたします。
という訳で、当研究会会員のMさんに早速その感想についてレポートして頂きます。



ひさしぶりに考古学講座を堪能した喜びを、どうお伝えすれば良いか考えている間に時が過ぎてしまいました。でも旧石器時代の何万年という単位に比べれば、まだまだ許される範囲としていただきたいです。

ある高齢の参加者のおじさまに、「わしがナウマン象捕まえてきてやるから、あんたぁ、あの変な形の下本谷の石器で切れるかどうかやってみぃや」と真面目な顔で言われました。

三枝氏の積み重ねてきた研究とその姿勢、今回の下本谷出土石器の考察位置づけに感涙した私ですが、このおじさまの言葉に一層感動しました。
笑い話ではありません。
初めて旧石器の話を聞いた人に、まずは下本谷を伝えることができたのです。

勿論、ナウマン象は絶滅したことや、実験考古学等々つい語ってみましたが、私には『下本谷の変な石器』の言葉を覆すことが出来ませんでした。
次回の講座をお楽しみに、ということになっています。

はい、私も楽しみです!



レポートありがとうございました!
旧石器研究の奥深さと久々に三次で聴く本格的な考古学講演会への感動がひしひし伝わってくるレポートでした。三旧研会員のみなさま、当日の講演会感想でも結構ですし、そのほか遺跡探訪記や博物館めぐりの感想、研究レポート、日々感じることなど。もし有りましたらブログ管理人まで、是非ご連絡ください。

2016年9月25日日曜日

三枝氏講演会開催されました!

みなさんこんにちは。
三旧研のブログ管理人です。
秋の気配が漂い始めた最近ですが、そんな折、昨日、三次旧石器文化研究会代表の三枝健二氏による講演会が開催されました。

今回の講演会は、三次地方史研究会9月例会において、『日本の旧石器文化と三次(上)-下本谷遺跡の歴史的意義-』と題し開かれました。

管理人は、非常に残念なことに仕事のため出席することができませんでしたが、聞くところによると、予想以上の参加があったとのことでした。

そんな講演会がどのようなものだったのか。後日、当会員の方々によるレポートを公開する予定です
それでは、次回そちらの方もぜひお楽しみに♫

2016年7月14日木曜日

三枝氏講演会チラシが出来ました!


みなさん、こんにちは。
いつも、当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

さて、今回は、前回の投稿でもお伝えした当研究会代表・三枝健二氏の講演会開催の続報です。
チラシが完成しました!!
 
 



5年ぶりとなる三次での三枝氏の講演。前回も申しましたが、下本谷遺跡はもとより、三次の旧石器文化について大変興味深い内容となるのではないかと思います。今から大変楽しみです。
三次地方史研究会の例会として開催されるこの講演ですが、旧石器時代に関心のある方をはじめ、歴史や考古学に関心を持たれている方々は是非ご参加お待ちしております!!

2016年6月18日土曜日

三枝健二氏 講演会のお知らせ

みなさん、こんにちは。
いつも、当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

さて、今回のお知らせは見出しの通り、当研究会代表の三枝健二氏の講演会開催に関する情報をお届けいたします。
三枝氏講演会は、三次地方史研究会9月例会において開催されます。
詳細は、以下の通りです。



演題 『日本の旧石器文化と三次(上)-下本谷遺跡の歴史的意義-』

講師 三次旧石器文化研究会 代表 三枝健二

日時 2016年9月24日(土)午後1時30分~

場所 三次市生涯学習センター(広島県三次市十日市東3-14-25)



さて、講演の概要ですが、三枝氏によると、『三次市下本谷遺跡出土の石器類を中心に、最近の調査資料を交え、列島内の主な前・中期旧石器時代遺跡との対比を通して、下本谷遺つくられた時代を推定し、その歴史的な意義などを考える。』とのことです。

三次での旧石器時代の講演は2011(平成23)年の風土記の丘の歴風トーク以来5年ぶりとのこと。当時は未報告のためはっきりと表現できなかったことも多かったようです。そのため、今回は「いつの時代に作られた」「どのような遺跡」かなど、かなり具体的な話になるように聞いています。

下本谷遺跡はもとより、三次の旧石器文化に興味のある方は是非ご参加ください。

2015年10月31日土曜日

速報・三枝健二氏の研究論文発表される!!

三旧研ブログをご覧のみなさま。ブログ管理人です。

さてさて、三旧研アーカイブス開設のニュース。ご覧いただきましたでしょうか?
我々、三次旧石器文化研究会にとっては、非常に大きな明るい話題となりましたが、今回は、そのアーカイブス第1号となる論文をご紹介したいと思います。

タイトルはこちら↓↓↓です!!

三枝 健二「下本谷Ⅰ・Ⅱ期の再検討  ― 中期旧石器時代後半から後期旧石器時代初頭のナイフ形石器について―」

『下本谷遺跡の基礎的研究』の刊行から8年が経過した今年、三次旧石器文化研究会代表である三枝健二氏が、下本谷遺跡のⅠ・Ⅱ期の旧石器に関する最新論文を発表しました。

詳細につきましては、PDFファイルにて三旧研アーカイブス上で公開しますので、是非ご覧ください!

『下本谷遺跡の基礎的研究』の一部訂正について

ブログ管理人です。
大変久しぶりの投稿です。ご無沙汰しておりました。

さて、今回のお知らせですが、上記投稿タイトルの件につきまして、『下本谷遺跡の基礎的研究』書中において2か所の誤記載が見つかりましたので、正誤表を公開し、ここに訂正させて頂きます。
何卒よろしくお願い申しあげます。



取り急ぎまで。
以上業務連絡でした。

2010年10月31日日曜日

下本谷遺跡の報告書 残部僅少!ご注文は広島県立歴史博物館のミュージアムショップに

約1年ぶりの更新となってしまいましました。色々な意味で時の経つのを早く感じたこの1年であります。

さて、今回の内容は見出しのとおり、三次旧石器文化研究会発行の下本谷遺跡の研究報告書の残部が僅かとなっております。

このため、現在当研究会での販売は終了致しました。
ただし、広島県福山市にあります広島県立歴史博物館内の“けんぱくミュージアムショップ”には10数部程残っているようです。
ということですので、「下本谷遺跡の基礎的研究」をお求めになりたい方は、広島県立歴史博物館ミュージアムショップ(084−931−2513博物館)までご連絡ください。

なお、その場合送料等はミュージアムショップの料金体系になります。

以上、研究会からのお知らせでした。
それでは。

2009年11月15日日曜日

三旧研第4回例会を開催しました

みなさま如何お過ごしでしょうか?
今週に入り、やっと寒さの厳しさを感じ始めている管理人です。

いよいよ12月となり、今年も押し迫って参りました。

さて、今回は、先月三次市内某所で開催しました三旧研例会の報告をします。

第4回目となる例会では、考古地質学研究所代表の柴田喜太郎氏をゲストとしてお招きしました。

テーマは「下本谷遺跡と三次・庄原の旧石器文化に係る諸問題」に関して。

自然科学の研究者である柴田氏からみた見解を伺おうと、三枝代表を中心に柴田氏へ質問を行うという形式で行われました。

特に石器の年代決定において、最も重要となる火山灰の年代測定に関しての疑問が、柴田氏に多く投げかけられていました。

理科系の事となると、とかく分からない事ばかりで、敬遠しがちなのが日本の考古学の現状のように感じています。また、今回は、お聞きしきれなかった事も多々あったようです。

今度は、もっと勉強を深め、いろいろと質問できるようになりたいな。と感じた管理人でした。

2009年2月23日月曜日

こんなことはじめました。三旧研例会


皆さまこんにちわ。如何お過ごしでしょうか?
最近の管理人は、日々忙しく、1月から3月にかけて日の経つ早さをひしひし感じております。
“いぬる。にげる。さる。”なんてなことを申しますけども、本当ですね。

さて、そんな中、新たな試みをはじめました。それは三旧研として定期的に集ろう。ということ。
いわゆる例会を行い、研究会の活動を会員相互で盛り上げていこうという趣旨です。

で、先日その第1回を実施しました。

テーマは、ズバリ!下本谷遺跡!!
これまで、旧石器が調査された給水搭地区や県史跡指定の郡衙跡地区などは歩いてきましたが、そのほかの調査が実施されていない地区に関しては、歩く機会がありませんでした。

第1回例会は、下本谷の丘陵全体を歩いてみよう。というそんな大まかな趣旨で開催しました。

右上の写真は、そのときの様子です。当日は、地元の方にご案内頂きながら巡りました。2月と思えぬポカポカ陽気。とっても歩きやすかったです。

このように、丘陵全体を歩き、充実した時間をすごして第1回の例会は終了しました。
ちなみにこの際、第1回を終えた感想として、例会の方向性について検討すべきではないか?ということを管理人から提案させていただきました。

試しの1回ですから、これをどのように続けていくか?
会員の皆さま。次回例会に向けて、お知恵やご意見をいただければ。と思います。

2008年9月29日月曜日

下本谷遺跡世界遺産登録について!?(その3)

笑ってください、とばかり言えないことが続発する世の中です。

今回の下本谷遺跡世界遺産登録シリーズは、少し方向がズレて、賞味期限についてのぼやきから・・・。

近頃想像するんです。いつか保健所が我が家の冷蔵庫をチェックし、賞味期限切れ食品所持で指導を受けるのではないかと(笑)。
偽装や疑惑が食品に付けられる言葉になるなんて・・・。しかし、この言葉。歴史についてはずいぶん前から登場していました。何せクイズで「捏造」という言葉が旧石器のヒントになるくらいですからねぇ。

さて、本題に入りましょう。「賞味期限」について。ただし、遺物や遺跡そのものではありません。ここでいう「賞味」とは、主として発掘調査を指します。私はそれに期限を用いることが必要なのではないかと感じているのです。例えば『試掘』に関しては“あり”ではないでしょうか。

試掘調査とは、遺跡の有無を確認するための調査手段のひとつです。そもそも、わが国における発掘調査の大半の原因は、開発に伴う緊急調査なんですが、調査を行なうのかどうかは、(緊急調査の場合は)開発予定地に遺跡が有るか無いか。ということが基準になります。試掘調査は主として該当する遺跡の所在する自治体の教育委員会等が実施することが多いです。

しかし、私は思うんです。この試掘調査結果が、調査事例の増加や研究の進歩に必ずしも反映されず、対応し切れていないのではないか?と。
ゆえに、「この付近の遺跡の有無は10年前に確認した(らしい)」とか「“何も無かった”と記録されている(らしい)」という理由で進められている。という現状もあります。

このような現状に対して、ぜひ試掘調査結果の『賞味期限』導入をしたいと思いませんか?その記録の提示は勿論のこと(らしいだけで記録を見た人はいないとか)、調査の精度や意識にも疑問を感じています。

『賞味』される以前に『廃棄』されてしまっていることへの怒りを込めて、3年を超える試掘結果は期限切れとすべし!如何ですか?世界遺産前文の『顕著な普遍的価値』を自分の気になる遺跡に当てて、ブランド化しようとしていると苦笑された皆さん!周知の遺跡に対する保護行政が行政内部すら周知化されていないのではないかと不安になる現状に対し、研究と学習、楽しい活動をしたいと願っています。世界遺産と聞いたら下本谷遺跡を思い出してニヤリしていただければ幸いです。 つづく ○

2008年9月17日水曜日

下本谷遺跡世界遺産登録について!?(その2)

↑↑↑まったく何を考えているのだろう、と呆れた皆さまにご報告です。

この時期三旧研の代表が遠方へ出掛けると台風が来ます。
まぁこれも私が勝手にジンクス化して笑っているのですが、ゆっくり西日本に向かっているそうなのでご注意ください。

さて、前回の続き・・・。世界遺産についてです。
 
世界遺産にしたい!とは言っても、別に下本谷遺跡の旧石器に「最古」と付けようなどとは考えてはいません。
また、“古いからすごい…”なんて主張をしたいがために世界遺産を持ち出した訳ではないことをご理解ください。

というより、まずは『どうなんだ?』とより多くの研究者の方々に問いかけたいんです。

私は、認識の無いまま日々文化財が壊され続けている絶望感を、少しでも前向きにしていくために下本谷を砦に「戦う」のではなく(笑)、勉強したいと考えているんです。
ただし、下本谷の旧石器は本当にかなり古そうだと思いますので、今後、当三旧研で下本谷や備北地域の旧石器をどう捉えていくのか、会員ながら期待しています。

世界遺産暫定リストは、推薦された遺跡の価値を幅広く比較研究するために用いられているそうです。
地元の方々は勿論、皆さんの心のリストに登録していただけたら嬉しいです。
つづく ○

2008年9月12日金曜日

下本谷遺跡世界遺産登録について!?

みなさま、いつも当ブログをご愛読頂き有難うございます。
本日は、当研究会会員からいただいた下本谷遺跡に関する投稿をご覧ください。
なんと!壮大な計画のようですよ!!


 笑わないでください。我が三旧研において・・・いや私が勝手に言い出しているだけなのですが、実は下本谷遺跡の世界遺産化を狙っています!

 下本谷遺跡とは、何度とこのブログでも名前が登場しますし、三次旧石器文化研究会発足の契機ともなった遺跡です。この下本谷遺跡の範囲のうち、発掘調査によって明らかとなった三次郡衙跡(推定)については、広島県史跡に指定されています。

 現在、そこには、畑が広がり、民家があり、寺院があります。そしてそこには、私の知人が眠る墓所があります。このように、下本谷遺跡は今も人々の生活が息づく一方、過去の道路開発等によって分断された状態で保存されている遺跡です。
 しかし、下本谷遺跡が旧石器時代の遺跡であるということについては、まだまだ周知不足というか、"おもしろいぞう"と叫んでも捏造事件の後遺症か旧石器の分かりにくさ故なのか、肝心の三次市で盛り上がりません。

 もちろん、遺跡は現在の生活の場である訳で、その「盛り上がり」によって悪い影響を受けるのでは、住民の方々にとって、決して快いものではないでしょう。

 いったい、"暮らし"と"遺跡保護"は「歴史」というステージでどう融合していけるのだろうか。また、その遺跡の価値や保護の意義が「歴史」に消滅しないためにはどうすればよいのだろう・・・。

 そんなことを考えながら、そこに住む人々が楽しく誇らしく生活する場所であることを第一に、遺跡を守りたい、知りたいという気持ちをこめて、下本谷遺跡を世界遺産にしようとつぶやいているんです。
 
 《人類の創造的才能を現す傑作であること》から始まる世界遺産の登録基準を読んでみました。
 旧石器時代における下本谷遺跡は、この《すでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特のあるいは稀な証拠を示している》と思うのですが・・・。

 今、日本で唯一歓迎される文化財保護は世界遺産なのではないかという浅はかな下心が見えた方は、どうぞ笑ってください。      つづく ○

2008年8月25日月曜日

戸田正勝先生来広!三旧研~夏の勉強会~開催③

 こなさん、みんばんわ。あれ?間違えましたね。
 当ブログをごらんのみなさん、こんばんわ。
 三次は、朝晩は薄着では寒いくらいの時が訪れております。なんでも、市内三良坂町の灰塚ダムの貯水率がこの雨不足により僅少となっているとの情報を先般の報道で知りました。農業用水に関しては調整がなされるとのこと。

 私、ブログ管理人にとりまして、これほどの水不足を経験した記憶はなく、驚きと戸惑いを感じています。幸い、生活用水は制限無いようですが、これから先のことを考えますと、やはり、ひとりひとり、節水に心がけることが大事であると感じました。とりあえず、家の水道メーターについている水栓を絞りました。節約にもつながれば・・・。とひそかな期待です。

 さあ、前置きのつまんないのがいつも長いので申し訳ありませんが、今回も当研究会会員で栃木県・國學院大學栃木短期大學の戸田正勝先生をお招きし、勉強会を実施した話題をお届けいたします。今回は、7月21日に実施した三次市内旧石器時代遺跡見学の模様についてお伝えいたします。









右写真①】
市内某所。このような露出した部分の地層などに注意し、見学しました。


市内のビジネスホテル前に集合し、出発し、まずは下本谷遺跡へ。配水地地点や最高所地点を見学しました。その後、矢谷墳丘墓へ。



右写真②】
矢谷墳丘墓での一行。奥に見える山並みは、三次盆地の北際を成す部分であり、天然記念物となっている船佐山内逆断層帯の走る部分でもある。
三次盆地はこれらの土地が隆起した後、無数の河川により侵食が進んだ結果、現在のような地形が形成されている。



矢谷墳丘墓に立ち寄ったのは、市内の展望がよく、地形が理解しやすいからであるが、この場所は、下本谷遺跡と同一標高にあり、しかも比較的近接していることから、下本谷遺跡と同時期の旧石器の出土も想定できる。いうこともあった。
 右下の写真【右写真③】は、矢谷墳丘墓上から東側を撮影したものであるが、写真奥に見えるのは、三次工業団地の第Ⅲ期工事現場である。
この丘陵は、下本谷遺跡を含め東に向け一連のものであり、同一標高であるこの丘陵は、馬洗川をはさみ、四拾貫町の陣山遺跡や向江田町の上山手廃寺などがある丘陵とも対応するものと考えられる。
つまり、下本谷遺跡と同時期の旧石器が存在しても不思議ではない。ということであるし、もちろん他時代の遺跡の存在も想定される。
 






右写真③】
矢谷墳丘墓から東側の丘陵を望む。



その後、一行は、中国横断自動車道尾道松江線建設工事にかかる発掘調査で調査が実施された和知白鳥遺跡や段遺跡界隈をぶらりと見学しました。
発掘調査はすでに終了しており、現地の状態は確認できないが、付近は中国自動車道とのジャンクション(三次JCT)であるため、工事が着々と進められていました。
そこで、我々は、橋脚建設工事の様子を見学するとともに、工事のため掘り込んだ穴から眺めることのできる地層などを確認しました。しかし、この日は暑かった!















【写真④(上)・⑤(下)】段遺跡周辺から橋脚工事現場を望む。


さて、コンビニエンスストアで給水と体の冷却をした後、一行は三良坂町へ。場所は、田利の宮風呂遺跡です。

 




【右写真⑥】田利から皆瀬にかけて上下川によって形成された円弧状の地形と旧石器の存在について説明する三枝代表(右)


「あついあつい」この日は、とにかくそんな日でした。そんな時は給水が一番。体を冷やしたりして熱中症対策でした。











【右写真⑦】宮風呂遺跡のある公園で休憩する三旧研一行



約半日をかけて実施した、三次市内の主だった旧石器時代遺跡見学も宮風呂遺跡を持って無事終了しました。
この後、三次市の中心部に戻り、いよいよ栃木へお帰りになる時間となった戸田先生と一行で国道54号線を南下。ナウマン象が通ったであろう地形をたどりつつ、一路広島駅へと向かいました。











【右写真⑧】広島駅にて。戸田先生との名残を惜しみ、近いうちの再会を約束しての記念撮影。



というわけで、戸田先生をお迎えしての研究会は無事終了しました。戸田先生におかれましては、暑いさなか、三次にお越し頂きありがとうございました。われわれ会員にとりまして、この2日間は、非常に濃密な時間となりました。会員一同代表しましてお礼申しあげます。
「今度は、栃木に行こう!」という声も上がっていましたね!(^^)!そうなればいいなぁ。と今から期待しております。

これで、3回にわたりお届けしてまいりました。三旧研~夏の勉強会の報告を終わります。
最後になりましたが、今回の勉強会開催にあたり尽力いただきました。戸田先生に重ねて御礼申しあげますとともに、三枝代表をはじめ多くの方に協力いただきました。文末ですが謝意を表します。

2008年4月27日日曜日

りにゅーあるしてます。

 「え?何が??」ですって???

 そりゃあ、広島県立歴史民俗資料館の常設展示のことですよっ!

 「そうなの?知らなかった。」ですって?

 それなら、このゴールデンウィークに是非お出かけになってみてはいかがでしょうか?

 特に大きく変更しているコーナーをご紹介すると、当研究会に縁の深い下本谷遺跡をはじめとした三次盆地内出土遺物等の旧石器時代コーナーと、弥生時代の塩町式土器コーナーです。この2つのコーナーは、全体の中でも特に見ごたえのあるコーナーになったなあ。って、いう印象を持ちました。

 その他、各時代コーナーのパネルが改められ、文字が読みやすくなっているなど、来館者への配慮が感じられます。

 また現在は、春の特別企画展として『乱世に願う-県北の戦国文化-も開催中です。

 リニューアルした常設展示と春の特別企画展。春の広島県立歴史民俗資料館にも目が離せませんっ!!

 それにしても、このゴールデンウィーク。わたしもリニューアルしたいものだなぁ。

 

2008年4月15日火曜日

石器実測勉強会

 ううっ、みなさまこんにちわ・・・
 なぜ、こんな登場なのか?ですって?
 
 はい、実は今日の仕事中に腰を痛めてしまいまして(とはいっても、筋が伸びた程度なのですが・・・)、何をするにも無理利かず、非常に困っております。
 体が資本の私の仕事。しかし、そういえば最近ほとんど運動していなかったんですよねぇ。
 
 表土剥ぎ 慣れぬ手掘りにゃ 気をつけよう   by管理人

 そうなんです。車社会にどっぷりつかり、気づけば怠けた体に・・・。いかんいかんと言い聞かせ、最近話題のメ○ボにならぬよう心に誓う私でありました。

 さて、いつものくだらない前置きも思い出したところで、本日の話題をお送りいたします。(まじめにご覧いただいている皆さん、ごめんなさい。)

 先日は、三次市三良坂町田利・皆瀬地区の踏査活動について報告いたしました。
 その当日、場所を三次市まちづくりセンターに移し、石器実測勉強会を行いましたので、その報告をさせていただきます。
 
 三枝健二編『下本谷遺跡の基礎的研究』三次旧石器文化研究会等の資料をテキストに、なんと管理人が旧石器の実測について解説。(いいんでしょうか?!)
 実測って何なの?という会員諸氏が抱くこの疑問について、まずじっくり話し合いました。しかし、理屈ばかりでは結局、形にはなりません。
 
 「とりあえず、好きな石器や石を使い、自分なりの実測をしてみましょう。」と、それから各々挑戦!

 限られた時間では、輪郭を描くのが精一杯という感じでしたが、それでも、実測の測点(ケバ)を記入する意味が分かったり、石器をじっくり観察することで各々の中で、新たな発見をしたようです。

 ところで今回の実測勉強会は、会員の中から提案され、実現しました。
 私は、この動きが、この研究会の目的のひとつである地域に根ざした歴史認識の醸造に向けての第一歩であるように感じます。この日は、うれしい出来事であったと同時に力強さを得る一日となりました。
 今後も、この勉強会を続けていきましょうね。会員の皆さんよろしくお願いいたします。

2008年1月4日金曜日

展示会情報

三次旧石器文化研究会より、新年初の展示会情報をお届けします。

今回お伝えする展示会情報はこちら↓↓↓

広島県立歴史民俗資料館(広島県立みよし風土記の丘内)
平成19年度スポット展『ナイフ形石器の

(以下、チラシより転載)
 ナイフ形石器は日本列島の後期旧石器時代を代表する石器で、この変化を目安に時代が区分されています。
 このスポット展では、三次盆地をはじめとした県内出土のナイフ形石器をもとに変遷を辿り、国内最古旧と考えられる下本谷遺跡を位置づけるとともに、石器としての機能なども紹介します。


日時:平成20年1月18日(金)~3月30日(日)

会場:広島県立歴史民俗資料館 常設展示室

主な展示資料
:下本谷遺跡,宮風呂遺跡,松ヶ迫A 地点遺跡,酒屋高塚古墳,塩野裏遺跡,徳市遺跡,大原2号遺跡,冠遺跡群,樽床遺跡群,苅屋形遺跡B地点などから出土したナイフ形石器類など20数点。

展示解説会:1月20日,2月3・17日,3月2日(日)

入館料:常設展の料金でご覧いただけます。

問合せ先:広島県立歴史民俗資料館 学芸課
〒729-6216 三次市小田幸町122 ℡0824-66-2881

2007年12月21日金曜日

お久しぶりです!お知らせです!!

広島県立歴史民俗資料館の特別企画展『最古の狩人を求めて』展の終了から、はや一ヶ月...
はやいものですねぇ~。もう一ヶ月。一ヶ月たったら、もう年末ですよ。はやいものですねぇ~...
そんな慌しい師走の折ですが、ここで旧石器関連行事のお知らせです。

12月24日(月・振替休日)、東広島市鏡山にあります広島大学にて、岡山大学の稲田孝司教授による講演会が行われるとのことです。
すでに、中国新聞などで案内があったようですので、ご存知の方も居られることでしょう。


広島大学考古学研究室・(財)古代学協会中国支部 主催 公開講演会

「中国地方の旧石器文化
-最近の広島県の発掘成果にふれて-
講師:岡山大学社会文化科学研究科
 稲田孝司教授

参加費 無料


日時: 2007年12月24日(月) 13:00-14:30 
場所: 広島大学大学院 文学研究科 B104教室
問合先: 広島大学大学院 文学研究科 考古学研究室
電話 082-424-6663
Fax  082-424-6663
E-mail kouko@hiroshima-u.ac.jp

 今年は、広島県、特に県北における旧石器研究には格段の成果があったと思います。
何といっても、当三次旧石器文化研究会代表である三枝健二(広島県立歴史民俗資料館 主任学芸員)による『下本谷遺跡の基礎的研究』が報告されたこと。

 また、それを中心とした広島県立歴史民俗資料館での特別企画展『最古の狩人を求めて-中国山地と三次の旧石器文化-』の開催。
 このような状況に加え、中国横断自動車道尾道松江線の建設に係る発掘調査において、三次市内で実施された和知町・和知白鳥遺跡および四拾貫町・段遺跡における後期旧石器時代遺跡の発掘調査など、専らその発信元は、常に三次市内が中心であった。そんな一年のように感じています。

 この旧石器に沸いた...(私だけ...!?)一年を、稲田教授が分かりやすくお話してくださるのではないでしょうか。

2007年11月19日月曜日

広島県立歴史民俗資料館『最古の狩人を求めて』展が終了しました!!

 先月10月より開催されてきた広島県立歴史民俗資料館の特別企画展『最古の狩人を求めて―中国山地と三次の旧石器文化―』展が、11月18日(日)をもって終了しました。

 当研究会では、我々研究会にて発行した『下本谷遺跡の基礎的研究』の成果を中心とした展示会ということで、このブログを中心に同展示会を応援してまいりました。

 思えば、今年は三次旧石器文化研究会が発足し、『下本谷遺跡の基礎的研究』が発行され、この旧石器特別展が行われるというように、非常に密度の濃い状況になっています。

 そんな中、私も足しげく見学に伺いました。

 一方、三次市民の入館者が少ないとのお話を聞き、正直残念に思いました。当地域の誇る歴史文化の拠点施設をもっと活用すべきだと感じました。しかし、そんな中期間終了に近づくにつれ、地域の方々もお越しになっていただいたようです。

 また、ナウマンゾウや石器に純粋に感動し、考古学者を夢見たかも!?の多くの子どもたちには、歴史を知ることの面白さや大切さを学んでいって欲しいなと感じました。

 ということで、もうこれで、鈴木遺跡の石器たちには会えないのですね...
竹佐仲原遺跡の石器たちにも...岩宿遺跡の石器にも...そして、ナウマンゾウにも...

 「え~ん!え~ん!悲しいです~(T_T)/」

 しかし、泣いてばかりもいいられない。そう、我々は、またここ三次をフィールドとして地道な活動に戻っていこうと思います。
 
 特別企画展も終了し、県北も本格的に寒くなってまいりました。これまで、広島県立歴史民俗資料館特別企画展の情報を中心に頻繁に更新してまいりました当ブログですが、これからしばらく冬眠に入りたいと思います。

 更新頻度はグッと減るかもしれませんが、旧石器関係の情報提供や当研究会の活動があったときにはそのことも取りあげようと考えておりますので、これまでどおり当ブログをご愛顧くださいね。

 三次旧石器文化研究会 会員一同より

2007年11月10日土曜日

戸田正勝先生in広島県立歴史民俗資料館

 『最古の狩人を求めて-中国山地と三次の旧石器文化-』展 開催中の県立歴史民俗資料館では、今日11月10日(土)午後より、文化財講座「日本旧石器文化研究の現状と課題-鈴木遺跡と下本谷遺跡から-」が、多くの聴衆が参集される中、開催されました。
 今回、この講座の講師としてお越しになられたのは、國學院大學栃木短期大學 学芸員兼任講師 の戸田正勝先生でした。

 右上の写真は、ご講演前に撮影した戸田先生と当三次旧石器文化研究会員との写真です。

 ご講演では、岩宿遺跡発見以来の謎、後期旧石器時代初頭と位置づけられる遺跡において、ナイフ形石器と磨製石斧がともに発見されるという事に関する論争を紹介。
 
 そして、そのような出土傾向と同様の様相をもつ鈴木遺跡の特徴について、スライドと図面を交えお話いただきました。
 
 次にいよいよ、下本谷遺跡と鈴木遺跡(Ⅹb層)との比較。
 それによると、石器出土状況について、環状ブロックのような出土傾向に共通点がある。と指摘がありました。
 また、Ⅹb層出土石器との比較については、鈴木遺跡(Ⅹb層)出土の石器に比し、下本谷遺跡の石器には大形品が目立つ。としながらも、それは時期的な差異ではなく、観察の結果、各々の石器の作り方やかたちには、共通点があることをお話になられました。
 
 講演の最後には、最古の狩人たちの渡来ルートを検証されました。下本谷遺跡や鈴木遺跡は、オーストラリアやニューギニアといった南方からやってきた石器文化が「黒潮の道」を経て、やってきた可能性について、ダイナミックなお話をされました。

 東京の遺跡と広島の山奥の遺跡にどんな共通点があるのだろう?と思っていましたが、その共通点の多さ、特徴の類似に驚きました。
 また、講演の最後に話されたことを聞き、下本谷遺跡の石器は、日本列島のみならず、世界的規模で考える必要があるんだということにまたまた驚きました。下本谷遺跡が如何に貴重な遺跡であるのかを改めて思い知らされた。そんな講演会でした。
 
 このような貴重な石器類を一同に展示してある『最古の狩人を求めて-中国山地と三次の旧石器文化-』展もいよいよ11月18日(日)までとなりました。
 日本を代表する研究者たちも関心をおく、全国最古級の旧石器遺跡である下本谷遺跡をはじめ、史跡岩宿遺跡の石器類、南関東の代表的な遺跡であり、日本最古級の鈴木遺跡などなど。これを逃すといつ見れるか分かりませんよ。
 どうぞ、この機会にぜひ三次の広島県立歴史民俗資料館に行ってみてくださいね。