2015年12月13日日曜日

訃報 戸田正勝先生逝去

去る10月22日に当 三次旧石器文化研究会会員の戸田正勝氏がご逝去されました。
ここで,お悔やみの言葉として会員の文章を掲載します。


 戸田正勝氏について

戸田正勝氏との出会いは,昭和49年8月に始まった東京都小平市の鈴木遺跡の調査であった。右も左もわからぬ1回生の私に石器の面白さを教えていただき,東北大学の研究室では多くの研究者を紹介され,また,広島に就職後も芹沢氏から下本谷遺跡出土資料についての助言を得るきっかけを作っていただいた。

特に石器の実測に関しては,剥離面の切合関係はもとより石材や風化状況による表現の差など,厳しく指導を受けた。ただ旧石器時代に関して中途半端な学習に終始したことは,今更ながらに反省している。

 平成18年に下本谷遺跡の報告と広島県立歴史民俗資料館での旧石器展を控え,戸田氏に講演を依頼。これを契機に2度にわたって三次の現地踏査に参加され,当研究会にもご入会いただいた。また平成21年には共著で下本谷遺跡をはじめとした三次盆地の旧石器文化について執筆いただいた。私の知る限りでは,これが戸田氏の旧石器研究最後の文章となったものと思う。そして,三次の旧石器文化を関東地域の編年を基に全国区で位置付ける契機となった功績は大きい。        

 今後研究会は,三次地域の旧石器時代を中心とした考古学的な研究や踏査を重ね,地域の歴史認識の醸造を計る,という会の趣旨に立ち返り地道な活動を行う所存です。

 戸田正勝様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(三 枝 健 二)




戸田先生に初めてお会いしたのは、下本谷の石器を実見されている最中でした。
とても嬉しそうに熱心に、本当に楽しそうなお顔をされていました。
真摯な研究者であられた先生ですが、私にとってはその初対面の時から、優しく真面目でとてもお茶目な先生だったのです。
突然の訃報に、ただ残念で悲しくてたまりません。

「本物の石器」を見なさい
と、何度となくおっしゃいました。
「本物の研究者」戸田先生の御冥福をお祈りします。(三旧研会員)



戸田正勝先生を偲ぶ

当研究会の三枝代表より、戸田先生の訃報を聞き、ただただ驚いている状況です。
思えば、先生とは、広島県立歴史民俗資料館での講演会が初めての出会いであり、そして、三旧研の勉強会として三次に来られた際が、最後の出会いとなってしまいました。

わずか二度の機会でありました。それが非常に悔やまれます。また、ぜひ三次にお越しいただき会員に色々と世界規模での旧石器の有り様を教えて頂きたかったし、なにより、まだまだお元気でいて頂きたかったです。

一期一会とは申しますが、先生と廻った下本谷遺跡をはじめとした三次市内の旧石器遺跡、その夜の会員との懇親会での思い出は、忘れられないものとなりました。

せめて今夜は、サインを頂いた著書『旧石器』を拝見しながら献杯し、先生を偲ばせて頂こうと思います。

戸田先生これまでのご教授ありがとうございました。 (三旧研・ブログ管理人)

2015年10月31日土曜日

速報・三枝健二氏の研究論文発表される!!

三旧研ブログをご覧のみなさま。ブログ管理人です。

さてさて、三旧研アーカイブス開設のニュース。ご覧いただきましたでしょうか?
我々、三次旧石器文化研究会にとっては、非常に大きな明るい話題となりましたが、今回は、そのアーカイブス第1号となる論文をご紹介したいと思います。

タイトルはこちら↓↓↓です!!

三枝 健二「下本谷Ⅰ・Ⅱ期の再検討  ― 中期旧石器時代後半から後期旧石器時代初頭のナイフ形石器について―」

『下本谷遺跡の基礎的研究』の刊行から8年が経過した今年、三次旧石器文化研究会代表である三枝健二氏が、下本谷遺跡のⅠ・Ⅱ期の旧石器に関する最新論文を発表しました。

詳細につきましては、PDFファイルにて三旧研アーカイブス上で公開しますので、是非ご覧ください!

三旧研アーカイブスを開設しました。

ブログ管理人です。
いつも当ブログをご覧いただきまして、誠に有難うございます。
今年の広島県北は例年に比して秋の訪れが早いようで、県境付近では、霜が降りたとの便りを聞きました。ひょっとして今年は早い冬の到来となるのでしょうか?

さて、今回の投稿は、三次旧石器文化研究会に関しての新たな取り組みについてのお知らせです。
当研究会では、これまでブログや印刷物などにおいて、研究成果や情報などの公開に努めてまいりましたが、この度、三旧研会員の研究や報告などを発表する場としても活用していくこととしました。
名付けて「三旧研アーカイブス」 https://docs.com/user995215

この三旧研アーカイブスにおいて、今後、三旧研会員の著作物の公開を随時計画しております。

なお、三旧研アーカイブスに掲載した文章や画像等の使用掲載にあたっては、基本的に自由とさせて頂きます。
ただし、使用される際には、出典の明記はもとより、通常の論文・出版物と同じ扱いとするよう、何卒留意頂きますよう、宜しくお願い致します。

三次旧石器文化研究会






『下本谷遺跡の基礎的研究』の一部訂正について

ブログ管理人です。
大変久しぶりの投稿です。ご無沙汰しておりました。

さて、今回のお知らせですが、上記投稿タイトルの件につきまして、『下本谷遺跡の基礎的研究』書中において2か所の誤記載が見つかりましたので、正誤表を公開し、ここに訂正させて頂きます。
何卒よろしくお願い申しあげます。



取り急ぎまで。
以上業務連絡でした。

2015年3月15日日曜日

三枝氏研究論文の一部訂正について

広島県北の三次盆地界隈にもようやく春の訪れが来ようとしています。いや~今年の冬はなかなか厳しかったです。
当ブログをご覧のみなさま、いかがお過ごしでしょうか?

さて、今回の投稿は、タイトルの通り、当研究会代表の三枝健二氏による研究論文に関して、一部訂正箇所が発表されましたので、次の通り報告させて頂きます。


広島県立歴史博物館 研究紀要 第16集 平成26
『中部備讃瀬戸採集の旧石器資料』正誤表

内   容
 
12

7図(宮山遺跡①)最上段中央の報告No78(ナイフ形石器)の展開図右側面(腹面)に展開ミス
右側面(腹面)を180°回転する
 
 
 
 
 
49
 
 

 
20-276 横長剥片 2.004.500.906.7安山岩 剥離角度111°
 
20-277 石核転用の石斧8.555.401.3094.4安山岩背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中
 
 
 
 

 

 

 

 

 
20-276石核転用の石斧8.555.401.3094.4安山岩背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中
20-277 横長剥片2.004.500.906.7安山岩 剥離角度111°

 
該当論文をお持ちのみなさま、ご確認及び訂正の方、よろしくお願いいたします。


おわりに・・・おまけの一枚
 

来週いよいよ、尾道自動車道の全通により尾道と松江がつながります。管理人の住む町からも高架橋がよく見えます。点と点で互いの町が線でつながる高速道路。それが20年程度で完成するのですからたまげたものです。
 私も理由あってとある時期における山陰と三次、そして吉備南部とのつながりを模索しております。その答えを導くにあと何年かかるでしょうか・・・。