三旧研ブログをご覧のみなさま。残暑お見舞い申しあげます。酷暑、激暑の真夏8月でした。みなさまよくぞ暑さに耐えられました!
更新日の本日は、当地方台風12号の接近が心配されております。今年まともに近づくのは恐らく初めてではないでしょうか?
しかし、関東や東北・北海道では台風が再々襲来し、多くの被害が出てしまいました。被害に遭われた方々に対しまして、心よりお見舞い申しあげます。
さて、2か月ぶりとなりました今回の話題は、三旧研アーカイブスについてです。
広島県内の旧石器に関して、精力的に研究活動を行っている当研究会代表・三枝健二氏が、今月新たに研究成果を公開されましたのでお知らせいたします!!
三枝 健二「広島県内旧石器関係資料報告(2)」
今回の研究報告では、三枝氏が以前広島県立歴史民俗資料館の研究紀要にて発表された資料報告の続編として、県内の3ヵ所の旧石器時代遺跡の資料について非常に微細に研究され、その成果を詳述されています。
というわけで、今回の報告も非常に興味深い内容となっております。
詳細につきましては、PDFファイルにていつもの三旧研アーカイブス上で公開しますので、是非ご覧ください!
2016年9月4日日曜日
2015年3月15日日曜日
三枝氏研究論文の一部訂正について
広島県北の三次盆地界隈にもようやく春の訪れが来ようとしています。いや~今年の冬はなかなか厳しかったです。
当ブログをご覧のみなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回の投稿は、タイトルの通り、当研究会代表の三枝健二氏による研究論文に関して、一部訂正箇所が発表されましたので、次の通り報告させて頂きます。
広島県立歴史博物館 研究紀要 第16集 平成26年
『中部備讃瀬戸採集の旧石器資料』正誤表
該当論文をお持ちのみなさま、ご確認及び訂正の方、よろしくお願いいたします。
おわりに・・・おまけの一枚
来週いよいよ、尾道自動車道の全通により尾道と松江がつながります。管理人の住む町からも高架橋がよく見えます。点と点で互いの町が線でつながる高速道路。それが20年程度で完成するのですからたまげたものです。
私も理由あってとある時期における山陰と三次、そして吉備南部とのつながりを模索しております。その答えを導くにあと何年かかるでしょうか・・・。
当ブログをご覧のみなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回の投稿は、タイトルの通り、当研究会代表の三枝健二氏による研究論文に関して、一部訂正箇所が発表されましたので、次の通り報告させて頂きます。
広島県立歴史博物館 研究紀要 第16集 平成26年
『中部備讃瀬戸採集の旧石器資料』正誤表
頁
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内 容
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12
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誤
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第7図(宮山遺跡①)最上段中央の報告No78(ナイフ形石器)の展開図右側面(腹面)に展開ミス | |||||||||
正
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右側面(腹面)を180°回転する | ||||||||||
49
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誤
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| 20図-276 | 横長剥片 | 2.00 | 4.50 | 0.90 | 6.7 | 安山岩 | 剥離角度111° |
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| 20図-277 | 石核転用の石斧 | 8.55 | 5.40 | 1.30 | 94.4 | 安山岩 | 背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中 | ||||
正
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| 20図-276 | 石核転用の石斧 | 8.55 | 5.40 | 1.30 | 94.4 | 安山岩 | 背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中 | |||
| 20図-277 | 横長剥片 | 2.00 | 4.50 | 0.90 | 6.7 | 安山岩 | 剥離角度111° | ||||
おわりに・・・おまけの一枚
私も理由あってとある時期における山陰と三次、そして吉備南部とのつながりを模索しております。その答えを導くにあと何年かかるでしょうか・・・。
2014年4月21日月曜日
……久しぶりに更新します……
三次旧石器文化研究会ブログをご覧のみなさま、大変にご無沙汰いたしておりました。
私、当研究会会員でブログ担当の管理人です。当ブログの更新が何と3年半ぶり!ということになります。思い起こせば,この3年半,私個人様々なことがありました。世の中でも様々な事が起こり,激動の期間であったと感じております。会員のみなさまにおかれましては,すっかりご無沙汰の方も居られますがお元気でしょうか?
さて,今回久しぶりの更新に際しての投稿は,当研究会代表の三枝健二氏についての話題です。
すでにご承知の方もおられるかもしれませんが,今年2月,当研究会代表の三枝が広島県立歴史博物館を退職しました。それと相前後して同館発行の『研究紀要』に「中部備讃瀬戸採集の旧石器資料」という資料報告を出しました。
その報告にあたり,管理人も本人から直接聞いた話がいくつかあるのですが,本文には出てこない内容も多いので,その一部をここで御紹介しようと思います。
まず,今回報告されたこれらの資料ですが,なんと50年ほど前に採集したものだそうです。諸般の事情により,三枝氏自身も40年以上接することが出来ずに居たため報告が遅れてしまったそうです。
彼は岡山県玉野市の宮田山と宮山に挟まれた場所で生まれ,小学校入学前に偶然拾った石器が市内に住む郷土史家の目にとまり,鑑定を受けたことがきっかけとなって採集を始めたとのことです。その郷土史家が,ちょうどその頃に宮田山遺跡を報告した杉野文一氏であったことを知ったのは大学入学後だったそうです。
採集当時は今と違って子供がカメラなど持っている時代では無かったため,遺跡内での採集地点については断片的な記録しか残っていないようです。しかし,遺跡単位で採集時のまま保管されていたため,混入などは全くないそうです。後に,大学で鈴木遺跡(東京都小平市)の調査に参加し旧石器時代のユニット検出を体験した時,葛島で見た遺物の分布状況と酷似していたため絶句したとのこと,今なら絶対にカメラと平板とレベルを携えて行くのだが…,とも云っていました。
彼が育った岡山県玉野市から直島諸島にかけては,近代後半から金属精錬や造船などの工場が稼動し,その煤煙による公害によって広範囲な地域で植物が枯れる深刻な環境被害が起きました。宮田山や宮山を始めとした諸遺跡は,その公害による表土の流出により発見されたようです。昭和30年代後半における中部備讃瀬戸周辺の遺跡の状況は,本文中の各遺跡の記述からもその一端を窺うことが出来ます。
現在では環境も復元され島嶼部には緑が戻っていますが,三枝氏によると,玉野市内から直島町内の随所に旧石器時代以降の遺跡立地に適した丘陵などの地形が所在しており,より多くの遺跡が存在する可能性が極めて高い。とのことです。
尚,この報告は広島県立歴史博物館の『研究紀要』第16集に掲載されており,御入用の方は同館のミュージアムショップに連絡してください。
この度の三枝氏の退職を転機として,当研究会も新たな段階に進んでゆけるものと思います。管理人も,内容は保証できませんが,仕事と休日の子守りや畑仕事の合間を縫って更新をしていきたいと思います。
それでは,また,次の更新まで暫く失礼します。
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