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2017年1月1日日曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます
2017年、初投稿、ブログ始めの管理人です。

昨年中は、当ブログをご覧頂きありがとうございました。
今年は酉年ですね。三旧研会員の皆様はじめ、ご覧いただいております皆様方にとって、幸せな一年でありますよう心よりお祈りいたします。

三旧研ブログ管理人

2016年12月4日日曜日

三旧研アーカイブス更新しました!!

当ブログをいつもご覧いただきまして有難うございます。
いよいよ今年もあと1か月を切りました。本当に早いですね。年々早く過ぎるように感じる1年ですが、今年もあっという間でした。
みなさまにとって、今年はどのような年でしたか?

さて、今回師走のはじめにお届けするのは、三旧研アーカイブス更新の情報です。

三旧研メンバーによる論文や資料報告などなど、気軽な投稿の場として設置した三旧研アーカイブス。みなさまご覧いただいていますでしょうか?
そんなアーカイブスの最新投稿として、当研究会代表の三枝健二氏が発表されましたのでご紹介いたします。

今回のタイトルは

三枝健二 「北部アフリカの前期旧石器資料などについて」


です。

三枝代表の地道な研究姿勢には会員一同いつも頭が下がります。同時に「我々も!・・・」と発奮させて頂く思いです。

是非皆さんご覧になってくださいね!

2016年11月20日日曜日

続・戸田正勝先生に捧ぐ

晩秋を迎え、鮮やかに色付いた紅葉が、幹から地面へとその場所を移しつつあります。もうすぐ師走。年の瀬を前にし、次の祝日(勤労感謝の日)あたりはつかの間の休息日となりそうです。
さてタイトルの通り今回は前回に続き、「続・、戸田正勝先生に捧ぐ」と題し、昨年お亡くなりになられた戸田先生に対し、三旧研会員から先生に向けての追悼メッセージをお送りいたします。

 



戸田先生

ご無沙汰しています。
大学を退職された時これからは前期旧石器三昧で研究を楽しみます、お手紙頂きましたよね。

本物を見てますか?きれいだとか素敵だとかいう気持ちを大切にして本物の石器を見なさい、と電話で話してくだいましたよね。

そして下本谷の石器を真面目に厳しく研究している三枝さんからしっかり学びなさい、と。

今回の講演について、戸田先生はどうおっしゃるでしょう。きっとその前に私が「やりましたよ!」とガッツポーズで叫ぶのを笑われるでしょうね。
先生に、心ふるえる内容の講演でしたと伝えたかったです。

講演のリポートとは言えませんが、私Mの心のリポートを投稿します。

2016年11月12日土曜日

戸田正勝先生に捧ぐ

長く國學院大学栃木短期大学に奉職され、三次旧石器文化研究会会員であった戸田正勝先生がお亡くなりになって1年が経過いたしました。
当研究会ブログでは、先生の一周忌にあたり、会員のみなさまから追悼のメッセージを募りました。今回はその中の一つをご紹介させて頂きます。
 
 


戸田先生がこの世を去られて、早いもので1年が経過しました。

 

昨年末、御家族からのお葉書で突然の訃報を知り、ただただ驚くばかりでした。

三次へいらした時の先生のお姿は忘れられません。

何も分からない素人の私にも、丁寧に質問に答えて下さるお姿は、偉大な研究者とは思えない程のお優しい方でした。

まだまだお元気で御活躍して頂きたかったです。とても残念でなりません。

戸田先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
      

三旧研会員 より

 
 

2016年10月29日土曜日

三枝氏講演会リポート

三旧研ブログをご覧のみなさま、こんにちは。いつもご覧いただき有難うございます。
さて、今回は、去る9月、三次地方史研究会9月例会として開催された、当研究会代表の三枝健二氏講演会『日本の旧石器文化と三次(上)-下本谷遺跡の歴史的意義-』の聴講レポートをお届けいたします。
という訳で、当研究会会員のMさんに早速その感想についてレポートして頂きます。



ひさしぶりに考古学講座を堪能した喜びを、どうお伝えすれば良いか考えている間に時が過ぎてしまいました。でも旧石器時代の何万年という単位に比べれば、まだまだ許される範囲としていただきたいです。

ある高齢の参加者のおじさまに、「わしがナウマン象捕まえてきてやるから、あんたぁ、あの変な形の下本谷の石器で切れるかどうかやってみぃや」と真面目な顔で言われました。

三枝氏の積み重ねてきた研究とその姿勢、今回の下本谷出土石器の考察位置づけに感涙した私ですが、このおじさまの言葉に一層感動しました。
笑い話ではありません。
初めて旧石器の話を聞いた人に、まずは下本谷を伝えることができたのです。

勿論、ナウマン象は絶滅したことや、実験考古学等々つい語ってみましたが、私には『下本谷の変な石器』の言葉を覆すことが出来ませんでした。
次回の講座をお楽しみに、ということになっています。

はい、私も楽しみです!



レポートありがとうございました!
旧石器研究の奥深さと久々に三次で聴く本格的な考古学講演会への感動がひしひし伝わってくるレポートでした。三旧研会員のみなさま、当日の講演会感想でも結構ですし、そのほか遺跡探訪記や博物館めぐりの感想、研究レポート、日々感じることなど。もし有りましたらブログ管理人まで、是非ご連絡ください。

2009年4月5日日曜日

高速道路大幅値引きの波紋

麻生首相の景気対策の目玉とされる高速道路の値引きが先月から始まりました。
メディアなどでは賛否様々に語られていますが、みなさんはどのようにお感じですか?

私にとっては、今回のこの取り組みは非常に魅力的なものとなりそうです。なぜなら、様々な遺跡や博物館を見に行きやすくなったからです。頑張れば、私の家から最寄の高田インターより鹿児島まで行っても1000円なわけですよね、こりゃ、率直にありがたいです。
しかしながら、税金が回りまわっているだけといえば確かにそうですし、安直な発想だな、と言われればそんな気もしますし、環境のことを考えますと不安もありますし・・・そんなことをかんがえるとなんだか複雑です。

まあ、そんなことを感じつつも早速その恩恵にあやかりたいと、いざ長門路へ。
土井ヶ浜人類学ミュージアムと下関市立考古博物館のサイトミュージアム豪華2本立ての旅でした。
ともに私ははじめて訪れました。やはり、1000円が・・・効いてます。

土井ヶ浜を訪れての感想は、もっと海岸に迫ったあたりに遺跡が存在するのかと思っていたので、その点が意外でした。

なぜに砂浜に埋葬のための遺構を形成したのか?
遺体のほとんどが海岸を向いているのは何故か?
ゴホウラ貝は何故に大事なものだったのか?
生活の痕跡はどこにあったのか?

縄文人と弥生人の違いなど、土器や骨などから理解を深めることができました。その一方で、いろいろと謎も深まる見学でした。

午後からは、綾羅木郷遺跡へ。下関市立考古博物館を見学し、史跡公園を散策。
弥生から古墳時代にかけての遺跡ですが、弥生時代では貯蔵穴である袋状土坑が顕著に検出したことで知られています。
博物館は、最近無料になったとのことで、雨にもかかわらず、断続的に見学客が訪れていました。
博物館の常設展示は、綾羅木郷遺跡の存在時期である弥生時代と古墳時代が中心となっておりました。響灘沿岸地域の各時代における土器や青銅器、古墳などの文化が分かりやすく展示してあります。
特にこの地域の特徴的な弥生土器に目を惹かれました。体部が内傾する部分や体部から頸部にかけての突帯、口縁、貝殻紋など・・・。どんな背景からこれが生じたのか。ゆっくり逗留しておいしいものをたくさん食べて、たっぷり呑んで(笑)考えたいところでしたが、ぐっとこらえて、岐路に着きました。

といったわけで響灘沿岸地域の弥生時代を体感する旅となりました。


土井ヶ浜人類学ミュージアム
山口県下関市豊北町大字神田上891-8
TEL:083-788-1841
FAX:083-788-1843
http://www.doigahama.jp/top.html


下関市立考古博物館
山口県下関市大字綾羅木字岡454番地
TEL:083-254-3061
FAX:083-254-3062
http://www.koukohaku.shimonoseki.yamaguchi.jp/

2008年11月18日火曜日

「壊されていく遺跡についての感想」(会員投稿)

 今回は、三旧研会員からの投稿をご紹介します。非常に率直な意見だと思います。みなさんも、この文章をお読み頂き、是非埋蔵文化財の保護にまつわる問題について考えてみていただきたいと思います。


 旧石器の好きな皆さん、考古の好きな皆さん、遺跡が次々と壊されていっています。
 我町、三次市・庄原市では、現在、中国横断自動車道尾道・松江線の建設に伴い、遺跡の発掘調査が行なわれています。

 当然ではありますが、調査後はすぐに跡形も無く道路になるわけです。

 私、全くの素人ではありますが古墳などの遺跡はとても大事に思っています。でも今は、次々と消えていっています。とても残念です。

 中でも、宮の本24号墳は、とても見事な美しい円墳でした。
 直径30m、全体の葺石、頂部の埋葬施設、テラスにはぐるりと円筒埴輪列。
 
 復元せずにこんなに生々しい姿を見たのは初めてでした。しかし、こんなに美しく素晴らしい古墳も、壊され、工事は進んでいきます。

 道路は上を通るとか、下を通るとか、横を通るとか、出来ないものなのでしょうか?

 これらの遺跡は、壊してしまったら、再び元には戻らないのです。
 
 どうか残すことも考えてほしいのです。本当は何も触れること無く、そのまま静かに眠っていてもらうのが一番良いのですが・・・・・。

 特に古墳はお墓なのですから。(K)

2008年4月16日水曜日

三旧研 ある日のある会員

 みなさん、こんにちわ。今日の話題は、タイトルのとおり、三旧研会員からの投稿です。話は先月3月14日にさかのぼります。3月14日といえば何の日でしたっけ?
 管理人の横着にて掲載が遅くなりました。ごめんなさい。「一ヶ月も前の話題を!」と言わずどうぞ最後までお付き合いくださいませ。by 管理人



 会長こと三枝氏からホワイトデイに奥様手作りのお菓子をいただいた。
 それは、下本谷の旧石器が古いのと同じくらい確かな、美味しいお菓子だった。
 冷蔵保管せよとの指示があり、会長に柔順な私はまず、その一つをほお張りながら他の方からいただいたお返しと一緒に冷蔵庫に入れた。
 
 翌日、そのお菓子を持参しようと、私は頂いた袋からかわいいリボンの付いたボックスを出し出勤した。
 
 しかし、この後、衝撃の瞬間が訪れようとは・・・。
 
 仕事がひと段落し、そのお菓子を食べよう!とボックスを開けると・・・・・。開けると・・・・・。
 
 そこにはまぎれも無い石器が・・・。食べられない石器が。。。
 
 後日会長に聞いたところ、それは実測勉強用にと提供していただいた石器だったのだ。
 お菓子とまちがえた私がどれだけ呆然としたかは想像にまかせたい。

 しかし、ホワイトデイのプレゼントで、、、。しかもキャンディが入っているとしか思えないような箱で、、、。

 「旧石器は氷河期だから冷蔵庫なのだ」とつぶやきながら、笑うしかないではないか。
 ためしに同僚に、ひとついかが?とボックスを差し出してみた。呆れられた。
 昨年の特別展を見学していた彼女は、それで狩りでもしろというのか!と言わんばかりの顔をした。

 気をつけよう、あまいお菓子と旧石器 賞味期限は何万年?!