2015年3月15日日曜日

三枝氏研究論文の一部訂正について

広島県北の三次盆地界隈にもようやく春の訪れが来ようとしています。いや~今年の冬はなかなか厳しかったです。
当ブログをご覧のみなさま、いかがお過ごしでしょうか?

さて、今回の投稿は、タイトルの通り、当研究会代表の三枝健二氏による研究論文に関して、一部訂正箇所が発表されましたので、次の通り報告させて頂きます。


広島県立歴史博物館 研究紀要 第16集 平成26
『中部備讃瀬戸採集の旧石器資料』正誤表

内   容
 
12

7図(宮山遺跡①)最上段中央の報告No78(ナイフ形石器)の展開図右側面(腹面)に展開ミス
右側面(腹面)を180°回転する
 
 
 
 
 
49
 
 

 
20-276 横長剥片 2.004.500.906.7安山岩 剥離角度111°
 
20-277 石核転用の石斧8.555.401.3094.4安山岩背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中
 
 
 
 

 

 

 

 

 
20-276石核転用の石斧8.555.401.3094.4安山岩背面中央新欠。両端打撃による潰れ集中
20-277 横長剥片2.004.500.906.7安山岩 剥離角度111°

 
該当論文をお持ちのみなさま、ご確認及び訂正の方、よろしくお願いいたします。


おわりに・・・おまけの一枚
 

来週いよいよ、尾道自動車道の全通により尾道と松江がつながります。管理人の住む町からも高架橋がよく見えます。点と点で互いの町が線でつながる高速道路。それが20年程度で完成するのですからたまげたものです。
 私も理由あってとある時期における山陰と三次、そして吉備南部とのつながりを模索しております。その答えを導くにあと何年かかるでしょうか・・・。




2014年4月21日月曜日

……久しぶりに更新します……


 
 三次旧石器文化研究会ブログをご覧のみなさま、大変にご無沙汰いたしておりました。

 私、当研究会会員でブログ担当の管理人です。当ブログの更新が何と3年半ぶり!ということになります。思い起こせば,この3年半,私個人様々なことがありました。世の中でも様々な事が起こり,激動の期間であったと感じております。会員のみなさまにおかれましては,すっかりご無沙汰の方も居られますがお元気でしょうか?

 さて,今回久しぶりの更新に際しての投稿は,当研究会代表の三枝健二氏についての話題です。

 すでにご承知の方もおられるかもしれませんが,今年2月,当研究会代表の三枝が広島県立歴史博物館を退職しました。それと相前後して同館発行の『研究紀要』に「中部備讃瀬戸採集の旧石器資料」という資料報告を出しました。

 その報告にあたり,管理人も本人から直接聞いた話がいくつかあるのですが,本文には出てこない内容も多いので,その一部をここで御紹介しようと思います。

 まず,今回報告されたこれらの資料ですが,なんと50年ほど前に採集したものだそうです。諸般の事情により,三枝氏自身も40年以上接することが出来ずに居たため報告が遅れてしまったそうです。

 彼は岡山県玉野市の宮田山と宮山に挟まれた場所で生まれ,小学校入学前に偶然拾った石器が市内に住む郷土史家の目にとまり,鑑定を受けたことがきっかけとなって採集を始めたとのことです。その郷土史家が,ちょうどその頃に宮田山遺跡を報告した杉野文一氏であったことを知ったのは大学入学後だったそうです。

 採集当時は今と違って子供がカメラなど持っている時代では無かったため,遺跡内での採集地点については断片的な記録しか残っていないようです。しかし,遺跡単位で採集時のまま保管されていたため,混入などは全くないそうです。後に,大学で鈴木遺跡(東京都小平市)の調査に参加し旧石器時代のユニット検出を体験した時,葛島で見た遺物の分布状況と酷似していたため絶句したとのこと,今なら絶対にカメラと平板とレベルを携えて行くのだが,とも云っていました。

 彼が育った岡山県玉野市から直島諸島にかけては,近代後半から金属精錬や造船などの工場が稼動し,その煤煙による公害によって広範囲な地域で植物が枯れる深刻な環境被害が起きました。宮田山や宮山を始めとした諸遺跡は,その公害による表土の流出により発見されたようです。昭和30年代後半における中部備讃瀬戸周辺の遺跡の状況は,本文中の各遺跡の記述からもその一端を窺うことが出来ます。

 現在では環境も復元され島嶼部には緑が戻っていますが,三枝氏によると,玉野市内から直島町内の随所に旧石器時代以降の遺跡立地に適した丘陵などの地形が所在しており,より多くの遺跡が存在する可能性が極めて高い。とのことです。

 尚,この報告は広島県立歴史博物館の『研究紀要』第16集に掲載されており,御入用の方は同館のミュージアムショップに連絡してください。

 この度の三枝氏の退職を転機として,当研究会も新たな段階に進んでゆけるものと思います。管理人も,内容は保証できませんが,仕事と休日の子守りや畑仕事の合間を縫って更新をしていきたいと思います。

 それでは,また,次の更新まで暫く失礼します。

 

2010年10月31日日曜日

下本谷遺跡の報告書 残部僅少!ご注文は広島県立歴史博物館のミュージアムショップに

約1年ぶりの更新となってしまいましました。色々な意味で時の経つのを早く感じたこの1年であります。

さて、今回の内容は見出しのとおり、三次旧石器文化研究会発行の下本谷遺跡の研究報告書の残部が僅かとなっております。

このため、現在当研究会での販売は終了致しました。
ただし、広島県福山市にあります広島県立歴史博物館内の“けんぱくミュージアムショップ”には10数部程残っているようです。
ということですので、「下本谷遺跡の基礎的研究」をお求めになりたい方は、広島県立歴史博物館ミュージアムショップ(084−931−2513博物館)までご連絡ください。

なお、その場合送料等はミュージアムショップの料金体系になります。

以上、研究会からのお知らせでした。
それでは。

2009年11月15日日曜日

三旧研第4回例会を開催しました

みなさま如何お過ごしでしょうか?
今週に入り、やっと寒さの厳しさを感じ始めている管理人です。

いよいよ12月となり、今年も押し迫って参りました。

さて、今回は、先月三次市内某所で開催しました三旧研例会の報告をします。

第4回目となる例会では、考古地質学研究所代表の柴田喜太郎氏をゲストとしてお招きしました。

テーマは「下本谷遺跡と三次・庄原の旧石器文化に係る諸問題」に関して。

自然科学の研究者である柴田氏からみた見解を伺おうと、三枝代表を中心に柴田氏へ質問を行うという形式で行われました。

特に石器の年代決定において、最も重要となる火山灰の年代測定に関しての疑問が、柴田氏に多く投げかけられていました。

理科系の事となると、とかく分からない事ばかりで、敬遠しがちなのが日本の考古学の現状のように感じています。また、今回は、お聞きしきれなかった事も多々あったようです。

今度は、もっと勉強を深め、いろいろと質問できるようになりたいな。と感じた管理人でした。

戸田正勝・三枝健二両氏による最新論文が発表される。

 過ぎた時間を埋めるべく、三旧研の情報をお伝えしたいと思うわけですが、まず、この情報からお届けしたいと思います。

 本年3月、三次市・下本谷遺跡を中心とした旧石器に関する論文が発表されました。

 タイトルは、
「広島県北東部における後期旧石器時代初頭の石器文化について—下本谷遺跡範囲確認調査資料の再検討から— 

 三次市・下本谷遺跡出土資料や周辺遺跡の資料を総合的に検討するとともに、関東、武蔵野台地の遺跡における資料を中国山地のものと比較することで、下本谷遺跡の石器の位置付けを試みておられます。

 執筆したのは、三次旧石器文化研究会代表で広島県立歴史民俗資料館主任学芸員の三枝健二氏と、同じく当研究会会員で國學院大學栃木短期大学学芸員・兼任講師の戸田正勝氏です。

 これまで、三枝氏によって国内最古級の可能性が示されてきた下本谷遺跡が、東京・鈴木遺跡の調査でも知られる戸田氏によってどのように判断されているか。興味深い論文であると思います。研究者の方のみならず、ご興味のある方、是非お読みになってみては如何でしょうか?
 

 なお、この論文は、広島県立歴史民俗資料館発行の『研究紀要』第7集に掲載されており、同館にて購入することが出来るそうです。(1冊500円・詳しくは直接資料館にお問い合わせください。)

2009年11月14日土曜日

長らく失礼致しました。

みなさん大変お久しぶりです。当研究会のブログ管理人です。
前回の投稿からはや、半年以上を経過してしまいました。これまで、研究会の皆様はじめ、ご覧いただいていた皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

いろいろ理由もあるのですが、早い話が私の横着が一番の原因です。
では、今日の休日を利用し、これまでの半年超を埋めるべく、内容を更新してみたいと思います。よろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。

2009年4月5日日曜日

高速道路大幅値引きの波紋

麻生首相の景気対策の目玉とされる高速道路の値引きが先月から始まりました。
メディアなどでは賛否様々に語られていますが、みなさんはどのようにお感じですか?

私にとっては、今回のこの取り組みは非常に魅力的なものとなりそうです。なぜなら、様々な遺跡や博物館を見に行きやすくなったからです。頑張れば、私の家から最寄の高田インターより鹿児島まで行っても1000円なわけですよね、こりゃ、率直にありがたいです。
しかしながら、税金が回りまわっているだけといえば確かにそうですし、安直な発想だな、と言われればそんな気もしますし、環境のことを考えますと不安もありますし・・・そんなことをかんがえるとなんだか複雑です。

まあ、そんなことを感じつつも早速その恩恵にあやかりたいと、いざ長門路へ。
土井ヶ浜人類学ミュージアムと下関市立考古博物館のサイトミュージアム豪華2本立ての旅でした。
ともに私ははじめて訪れました。やはり、1000円が・・・効いてます。

土井ヶ浜を訪れての感想は、もっと海岸に迫ったあたりに遺跡が存在するのかと思っていたので、その点が意外でした。

なぜに砂浜に埋葬のための遺構を形成したのか?
遺体のほとんどが海岸を向いているのは何故か?
ゴホウラ貝は何故に大事なものだったのか?
生活の痕跡はどこにあったのか?

縄文人と弥生人の違いなど、土器や骨などから理解を深めることができました。その一方で、いろいろと謎も深まる見学でした。

午後からは、綾羅木郷遺跡へ。下関市立考古博物館を見学し、史跡公園を散策。
弥生から古墳時代にかけての遺跡ですが、弥生時代では貯蔵穴である袋状土坑が顕著に検出したことで知られています。
博物館は、最近無料になったとのことで、雨にもかかわらず、断続的に見学客が訪れていました。
博物館の常設展示は、綾羅木郷遺跡の存在時期である弥生時代と古墳時代が中心となっておりました。響灘沿岸地域の各時代における土器や青銅器、古墳などの文化が分かりやすく展示してあります。
特にこの地域の特徴的な弥生土器に目を惹かれました。体部が内傾する部分や体部から頸部にかけての突帯、口縁、貝殻紋など・・・。どんな背景からこれが生じたのか。ゆっくり逗留しておいしいものをたくさん食べて、たっぷり呑んで(笑)考えたいところでしたが、ぐっとこらえて、岐路に着きました。

といったわけで響灘沿岸地域の弥生時代を体感する旅となりました。


土井ヶ浜人類学ミュージアム
山口県下関市豊北町大字神田上891-8
TEL:083-788-1841
FAX:083-788-1843
http://www.doigahama.jp/top.html


下関市立考古博物館
山口県下関市大字綾羅木字岡454番地
TEL:083-254-3061
FAX:083-254-3062
http://www.koukohaku.shimonoseki.yamaguchi.jp/