2009年11月15日日曜日

三旧研第4回例会を開催しました

みなさま如何お過ごしでしょうか?
今週に入り、やっと寒さの厳しさを感じ始めている管理人です。

いよいよ12月となり、今年も押し迫って参りました。

さて、今回は、先月三次市内某所で開催しました三旧研例会の報告をします。

第4回目となる例会では、考古地質学研究所代表の柴田喜太郎氏をゲストとしてお招きしました。

テーマは「下本谷遺跡と三次・庄原の旧石器文化に係る諸問題」に関して。

自然科学の研究者である柴田氏からみた見解を伺おうと、三枝代表を中心に柴田氏へ質問を行うという形式で行われました。

特に石器の年代決定において、最も重要となる火山灰の年代測定に関しての疑問が、柴田氏に多く投げかけられていました。

理科系の事となると、とかく分からない事ばかりで、敬遠しがちなのが日本の考古学の現状のように感じています。また、今回は、お聞きしきれなかった事も多々あったようです。

今度は、もっと勉強を深め、いろいろと質問できるようになりたいな。と感じた管理人でした。

戸田正勝・三枝健二両氏による最新論文が発表される。

 過ぎた時間を埋めるべく、三旧研の情報をお伝えしたいと思うわけですが、まず、この情報からお届けしたいと思います。

 本年3月、三次市・下本谷遺跡を中心とした旧石器に関する論文が発表されました。

 タイトルは、
「広島県北東部における後期旧石器時代初頭の石器文化について—下本谷遺跡範囲確認調査資料の再検討から— 

 三次市・下本谷遺跡出土資料や周辺遺跡の資料を総合的に検討するとともに、関東、武蔵野台地の遺跡における資料を中国山地のものと比較することで、下本谷遺跡の石器の位置付けを試みておられます。

 執筆したのは、三次旧石器文化研究会代表で広島県立歴史民俗資料館主任学芸員の三枝健二氏と、同じく当研究会会員で國學院大學栃木短期大学学芸員・兼任講師の戸田正勝氏です。

 これまで、三枝氏によって国内最古級の可能性が示されてきた下本谷遺跡が、東京・鈴木遺跡の調査でも知られる戸田氏によってどのように判断されているか。興味深い論文であると思います。研究者の方のみならず、ご興味のある方、是非お読みになってみては如何でしょうか?
 

 なお、この論文は、広島県立歴史民俗資料館発行の『研究紀要』第7集に掲載されており、同館にて購入することが出来るそうです。(1冊500円・詳しくは直接資料館にお問い合わせください。)

2009年11月14日土曜日

長らく失礼致しました。

みなさん大変お久しぶりです。当研究会のブログ管理人です。
前回の投稿からはや、半年以上を経過してしまいました。これまで、研究会の皆様はじめ、ご覧いただいていた皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

いろいろ理由もあるのですが、早い話が私の横着が一番の原因です。
では、今日の休日を利用し、これまでの半年超を埋めるべく、内容を更新してみたいと思います。よろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。

2009年4月5日日曜日

高速道路大幅値引きの波紋

麻生首相の景気対策の目玉とされる高速道路の値引きが先月から始まりました。
メディアなどでは賛否様々に語られていますが、みなさんはどのようにお感じですか?

私にとっては、今回のこの取り組みは非常に魅力的なものとなりそうです。なぜなら、様々な遺跡や博物館を見に行きやすくなったからです。頑張れば、私の家から最寄の高田インターより鹿児島まで行っても1000円なわけですよね、こりゃ、率直にありがたいです。
しかしながら、税金が回りまわっているだけといえば確かにそうですし、安直な発想だな、と言われればそんな気もしますし、環境のことを考えますと不安もありますし・・・そんなことをかんがえるとなんだか複雑です。

まあ、そんなことを感じつつも早速その恩恵にあやかりたいと、いざ長門路へ。
土井ヶ浜人類学ミュージアムと下関市立考古博物館のサイトミュージアム豪華2本立ての旅でした。
ともに私ははじめて訪れました。やはり、1000円が・・・効いてます。

土井ヶ浜を訪れての感想は、もっと海岸に迫ったあたりに遺跡が存在するのかと思っていたので、その点が意外でした。

なぜに砂浜に埋葬のための遺構を形成したのか?
遺体のほとんどが海岸を向いているのは何故か?
ゴホウラ貝は何故に大事なものだったのか?
生活の痕跡はどこにあったのか?

縄文人と弥生人の違いなど、土器や骨などから理解を深めることができました。その一方で、いろいろと謎も深まる見学でした。

午後からは、綾羅木郷遺跡へ。下関市立考古博物館を見学し、史跡公園を散策。
弥生から古墳時代にかけての遺跡ですが、弥生時代では貯蔵穴である袋状土坑が顕著に検出したことで知られています。
博物館は、最近無料になったとのことで、雨にもかかわらず、断続的に見学客が訪れていました。
博物館の常設展示は、綾羅木郷遺跡の存在時期である弥生時代と古墳時代が中心となっておりました。響灘沿岸地域の各時代における土器や青銅器、古墳などの文化が分かりやすく展示してあります。
特にこの地域の特徴的な弥生土器に目を惹かれました。体部が内傾する部分や体部から頸部にかけての突帯、口縁、貝殻紋など・・・。どんな背景からこれが生じたのか。ゆっくり逗留しておいしいものをたくさん食べて、たっぷり呑んで(笑)考えたいところでしたが、ぐっとこらえて、岐路に着きました。

といったわけで響灘沿岸地域の弥生時代を体感する旅となりました。


土井ヶ浜人類学ミュージアム
山口県下関市豊北町大字神田上891-8
TEL:083-788-1841
FAX:083-788-1843
http://www.doigahama.jp/top.html


下関市立考古博物館
山口県下関市大字綾羅木字岡454番地
TEL:083-254-3061
FAX:083-254-3062
http://www.koukohaku.shimonoseki.yamaguchi.jp/

2009年3月29日日曜日

三旧研第2回例会を開催しました。

 本日、三次市三次町にある三次コミュニティセンターにて三旧研第2回例会を開催しました。
 まずは、今日参加いただきました会員の皆さまご苦労様でした。最後はビックリしましたね(笑)
 
 さて、今回のテーマは「今後の活動方針について」。
 第1回例会を踏まえ、今後の例会のあり方について会員相互による白熱した議論が繰り広げられました。
 
 議論の詳細についてここでは省略しますが、三次・庄原地域の旧石器文化を地道に解明すべく、地域に根ざした活動に徹していくことを確認しました。 また、例会の開催は基本的に隔月開催とし、年6回程度にする。という点で一致しました。
 具体的な例会の内容については、次回以降からの実施で、遺跡の踏査は秋季から春季にかけて行い、春季から夏季にかけて三次・庄原地域の旧石器文化についての学習を会員相互で深めていく。といった大まかな流れを考えています。

 今日お越しいただけませんでした会員の方々にも、近いうちに今日の議論の内容や資料をお渡しできればと思います。そして、ご意見いただければと思います。

 なお、次回例会は一応5月を予定しております。

 

2009年3月17日火曜日

三旧研第2回例会のお知らせ

三次旧石器文化研究会会員の皆さまにお知らせいたします。
次回第2回の例会を3月29日(日)午後1時より開催いたします。

場所については、すでに案内されておりますとおり、三次町内某所です。
今後の展開について、検討したいと考えております。ご多用のこととは存じますが、可能な限り参加いただければと存じます。

管理人より

2009年3月16日月曜日

昨日は吉備へ、今日は出雲に。

 春の暖かさとともに、まるで冬眠から覚めた動物のように各地を歩き回っている管理人です。
 先日は、吉備の一人探訪記を綴らせていただきましたが、その翌日、日曜日には島根県松江市に参りました。
 三次から54号線、そして松江自動車道、山陰自動車道と抜け、お昼には松江に到着。
 食事の後、出雲国分寺跡~出雲国府跡~八雲立つ風土記の丘の順にめぐりました。

 
左の写真は、出雲国分寺跡の風景です。


僧房跡から南方向に向けて撮影しました。


写真中央に見える直線道路が天平古道です。
 
この後、出雲国府へと。





出雲国分寺跡の南西ほど近く、意宇川沿いに広がる
出雲国府跡。

右の写真は、政庁跡中枢のひとつである後殿の跡です。

写真奥には、出雲国府の総社だった六所神社があります。





以上、二日続けての古代遺跡探訪の道中記でした。
遺跡を訪れるたび、その大切さを痛感します。そのときに体感したことや、ひらめきを大切にして、自身の勉強にもつなげていきたいと感じました。
次回は・・・どこへ!?。

2009年3月14日土曜日

ひとり探訪会?!開催。

 毎度毎度ひさびさの・・・。というのがまくら言葉になっている最近の当ブログですが、がんばって更新したいと思います。(と自分に言い聞かせ・・・)

 といっても、旧石器ネタではなくって、今日出かけてきた道中記などでもしたためてみたいと思います。

 今日午後から開催された岡山での某シンポジウムを聴講するため、それを軸に吉備の史跡探訪を一人計画しました。

 8:00ごろ三次を出発し、庄原インターから中国道に。はじめて自分自身でETCを体験しました(笑)

 10:00過ぎには岡山総社インターに。そこから以前から訪れてみたかった吉備中山、中山茶臼山古墳に向かいました。備前備中両国を分けたこの地がどのような立地であるのか?その頂上のひとつである中山茶臼山古墳や平野部あるいは遠方から。と様々な環境から確認してみたかったんです。


 しかし、こんなこと一人でないとできません。まあ、強行軍だったこと・・・
 中山茶臼山古墳に向かう階段を登るだけで息が上がり、ゼェゼェ。春二番が吹きっさらすなか、防寒のため着込んだ服が5分で邪魔になりました。








 
 その後、考えてみたら遠景撮影するんなら、はじめに向かえばよかった。と、後悔しつつ、どうしようかと思案しつつも勢いで鬼ノ城へ。
 史跡整備により西門の復元などの工事が継続し実施されておりました。















 なるほど、抜群に眺望が良いです。















 そんなことして、各所の滞在時間は僅かで、あわただしく岡大へ向かいました。
 そこでのシンポジウムも私にとって新情報を得ることができ、実りあるものでした。
 
 そして、おそらくその副産物が明日か・・・明後日か・・・。筋肉痛としてやってくるものと。。。。。(笑)

 以上、管理人の内容薄い“ひとり”探訪記でした。

2009年2月23日月曜日

こんなことはじめました。三旧研例会


皆さまこんにちわ。如何お過ごしでしょうか?
最近の管理人は、日々忙しく、1月から3月にかけて日の経つ早さをひしひし感じております。
“いぬる。にげる。さる。”なんてなことを申しますけども、本当ですね。

さて、そんな中、新たな試みをはじめました。それは三旧研として定期的に集ろう。ということ。
いわゆる例会を行い、研究会の活動を会員相互で盛り上げていこうという趣旨です。

で、先日その第1回を実施しました。

テーマは、ズバリ!下本谷遺跡!!
これまで、旧石器が調査された給水搭地区や県史跡指定の郡衙跡地区などは歩いてきましたが、そのほかの調査が実施されていない地区に関しては、歩く機会がありませんでした。

第1回例会は、下本谷の丘陵全体を歩いてみよう。というそんな大まかな趣旨で開催しました。

右上の写真は、そのときの様子です。当日は、地元の方にご案内頂きながら巡りました。2月と思えぬポカポカ陽気。とっても歩きやすかったです。

このように、丘陵全体を歩き、充実した時間をすごして第1回の例会は終了しました。
ちなみにこの際、第1回を終えた感想として、例会の方向性について検討すべきではないか?ということを管理人から提案させていただきました。

試しの1回ですから、これをどのように続けていくか?
会員の皆さま。次回例会に向けて、お知恵やご意見をいただければ。と思います。

2009年1月25日日曜日

三旧研新年会開催!!

今日は、三次市内某所にて、2009年の三旧研新年会が開催されました。
参加された会員の皆さま、お疲れ様でした。年頭にふさわしく、旧石器に、三次の歴史にと話題は尽きず、しまいは、マイクの奪い合い?!による大カラオケ大会と、とってもはじけた新年会でした(笑)

今年の新年会は久々のほぼ全員参加ということで、交流も一層深まりました。

今年も真面目に楽しく、考古学、楽、ガクッ・・・とやって行きましょうσ(^◇^;)

2009年1月18日日曜日

如何でしょうか?

ケータイからメールにて投稿してみました

ただいま画策中です(笑)

みなさま、こんばんわ。
実は、私、管理人。このブログを携帯電話から投稿できるよう現在、画策中です。
どうやら、できそうです。

滞りがちなブログの更新も何とかなるかも!

みなさま。どうぞご期待!?ください。

2009年1月12日月曜日

すっかり明けてしまいました。

 当ブログをごらんの皆様、ならびに会員の皆様。本年も三次旧石器文化研究会ブログをよろしくお願い申し上げます。
 昨年11月以来、2ヶ月のご無沙汰となってしまい申し訳ありませんでした。気づけば3000アクセスを超えていたり、びっくり!!

 なんとか松の内までに新年のご挨拶を。と気ばかりで・・・。
 
 いやはや、言い訳ばかりではいけません!
 個人的に昨年は、様々な変化の年となりました。今年は、更なる飛躍の年となるようがんばりたいという年頭の想いです。

 情報もどしどしアップしていきますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。